2021.1.23
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まなびのみなと インタビュー企画 #1 取釜宏行

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はみんなすごくて、素敵な人生を過ごしていた。でも、私の周りにもいっぱい面白くて素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる面白くて素敵な人に彼ら自身の人生についてインタビューし、語ってもらい、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。まず1人目は代表理事の取釜宏行(とりかまひろゆき)さんである。

彼の簡単な経歴を紹介しよう。中学まで地元である広島県大崎上島で過ごし、三原市にある高校へ進んだ。その後、京都にある大学へ進学。新卒で、東京にあるI T人材ベンチャーで約2年、京都の教育ベンチャーで2年半働き、27歳で大崎上島にUターンした。島では私塾を立ち上げると共に、6年前から島にある県立大崎海星高校の魅力化に従事する。

「今までに一番楽しかった時はいつですか?」と聞いたら、「全部。」と即答。高校も自分で選んで進学したし、大学は自由になってそれも楽しかった。新卒で入ったベンチャー企業も今でも一生働きたかったと思う会社だったと言う。Uターン後、私塾の時も面白かったし、高校魅力化も楽しい。とすべてのことが本当に楽しそうだった。

そんな彼の小・中時代、彼の両親は先生をやっていて、夜遅くまで仕事をしていたことが記憶に残っているそうだ。だが、起きたら朝ごはんができている。幼いながらに先生ってすごいという気持ちがあった。勉強は全然好きではなかったけれど、中学校では少ない同級生だったので、友達と教え合うことが多く、人に物事を教えることが面白いと感じた。島の知らないおじさんに怒られたり、色々教えてもらったりと、「地域に育ててもらった」という実感が大きい。そこから、「将来は島に帰りたい」と思ったらしい。これらが今の島で教育に関わる自分の原点だと言う。

高校はサッカーがしたくて島を出た。京都の大学に進学した後も、サッカー三昧だった。しかし、大学2年の春、練習で靭帯を切って4週間の入院。二十歳の誕生日を病院のベッドの上で過ごした。その時、初めて将来と真剣に向き合った。そして、今やるべきことはサッカーじゃない、と結論を出した。そこから、塾講師のバイトを始めて一所懸命やった。どうなるかわからないが教員の免許は取っておこうと決め、教職を受けた。

彼の1番の転換期は大学3年の冬、「そこからすごく変わったと思う。」と振り返る。うちのじいさんが死んだ時だと。人生を考えたと言う。自分の近しい人が亡くなるのは初めてのことだった。それまでは上半身裸で日常を過ごすような人で元気だったが、急に悪くなった。そんな祖父が亡くなって、一日朝まで涙が止まらず、あんなに泣いた日はないというぐらい泣いたと言う。両親は忙しく、じいさんばあさんっ子だった。すごくよくしてもらったのに、一体何をじいさんにしてあげられたのか。何もしてないのに逝ってしまったと後悔の念に駆られた。「人はいつ死ぬかわからないから、できることやりたいことはできる時にやっておかないといけない。」と、次の日に思った。その時から、座右の銘は「今やるか、一生やらないか」。になったと言う。それを実践できていると思うか、と尋ねると、「思う。」と即答した。

教育で島に帰りたいと思っていたが、教員を選ばなかった大きな理由は、大学4年の教育実習だった。「教育業界はとても大きな組織なんだなと感じて、自分の力は本当にないなと思った。」と語る。教育実習に行く前は、「わしが教育変えちゃる!」それぐらい思うほど燃えていた。若造だったから、と少し苦笑い。塾講師もやっていたから教える自信はあったけど、教育はそれだけじゃなくて、先生同士の関係だったり、教育システムだったりと現場に立って初めて知ることばかりだったと振り返る。

驚くべきことに、教育実習の二日目に校長先生から呼び出されるエピソードがある。初日に先生たちの動きを見て、首を傾げることがあった。参加した運動会の会議では、参加者9人中3人が寝ていた。運動会の内容も去年の内容を確認しただけで終わり、運動会の飲み会についてですが、となった瞬間に全員起きて、運動会の飲み会はわしに任せと会議を寝ていた人が言う。初日の教育実習日誌にそのことを書いたら、お前これどういうことや、と校長先生に呼び出された。朝練に出たことも迷惑じゃとまで言われ、2時間説教された。

これが象徴的な出来事で、自分の力不足を感じた。やり方も伝え方も悪かったと反省した。自分がそれをひっくり返せるほどの実力も経験もなかったから、まずは社会人として一人前にならんと話にならん。武者修行のつもりで「東京」「ベンチャー企業」の2軸で就職活動をした。

その後、2年間、I T人材ベンチャーで働き、京都にある教育ベンチャーに転職して2年半働く。京都時代がなければ今の教育の自分の土台はないと言う。そして、27歳になって、大崎上島に戻り、私塾を開き、6年前から県立大崎海星高校の魅力化にも携わる。

私塾の仕事のやりがいも大きい。私塾では、生徒を長期間見れることがいいと言う。小学1年から中学3年の卒業まで9年間みた子がいた。その子が卒塾式でくれた手紙に、「今まで一度も塾に行きたくないと思ったことはありません」と書いてあった。すごいこと書くなと思った。学校の中に居場所がない子も、ここがあってよかったなと思ってもらえて、卒塾した後も連絡をくれる。そういうことが嬉しい。最近も京都時代の教え子が彼女を連れて島に来てくれたり、久々に会ったら子どもがいる教え子がいたり、今でもそんな繋がりがある。それが私塾のいいところと言う。

高校魅力化は生徒の声と地域の声がやりがいだ。例えば、生徒については、プレゼンに連れて行った時にダメだったと反省していた子が、後日別のインタビューでこの前の反省を活かせました、と言う。そうやって、日々の積み重ねで、取り組みが生徒の血肉になっていると感じてもらえる。先生じゃないからこそ、自分が提供できる地域との協働の部分でそう感じてもらえることにやりがいがあると言う。

地域については、生徒とインタビューに行って、地域の人から「今日めっちゃよかった。高校生に元気もらった。明日から仕事頑張れるわ。」というメールをもらった。そういうのが嬉しいと言う。

自分の性格については、これをやると決めたら、周りが何を言ってもやる人間だと言う。「旗を立てる。」と表現している。これをやると言ったら、やりきるか、自分が納得するまで絶対に旗を下ろさない。「やりきるか、死ぬか。」大袈裟じゃけど、旗を立てる時はいつもそんな気持ちだという。そんな気持ちじゃなかったら旗は立てない。魅力化もそうで、全員が応援してくれるとは限らない、しかし、決めないと動かない。旗を立てなければ批判されることもない。けど、動くこともない。プロジェクトの中で、旗を立てる役割は自分だろうと語る。

僕は自分でビジョンをつくることはできない。そう言うタイプじゃない。でも、ビジョンはつくれないけど、こっちだと思う!みたいな旗は立てられる。嫌われたりするのが怖いから立てられない人もいるけど、僕はやるど、という意志が勝つと教えてくれた。

この記事を掲載しているまなびのみなとの構想は魅力化が始まった当初からずっとあった。まなびのみなとは「箱」であり「手段」だと言う。地域と教育はもっと近いものだと思っている。社会と学校で学ぶことが乖離していると言うが、それはお互いにとって良くない。そこを繋げていきながら何かできることがあるのではないかと思いながら模索した。10年前は誰も大崎上島のことを知らなかった。そこから地域、町を持続可能にするために、自分ができることは教育の面から地域に対して何かしら働き掛けることかなと思った。そして、今そういうことができたらいいねと言うメンバーが揃っているから、そんな「箱」をみんなで作っていると言う。それに地域おこし協力隊の人が外から来てくれる。やっぱり受け入れ側の島の人間からしたら、来てよかったなと思ってほしい。みんな協力隊の人は想いを持って来てくれて、こうしたいって思うことがあると思う。けど、個人でやるのはハードルが高い時もある。そんな時に団体があればできることも増える。これでやれというわけではなく、こんな選択肢もあるよということを示している。だから、この「箱」を使って、一緒に何か面白いことができたらと言う。

その面白いことができるポテンシャルを大崎上島町は持っているという。大崎上島町にはたくさん面白い人がいて、その人たちがいるから、大崎上島はいけると思うと語る。修学旅行の民泊もそうで、大多数がオープンマインドで「ええよええよ」っていう人達だ。島って閉鎖的なんでしょって言われるけど、そんなことはない、と言う。

大それたビジョンがあるわけではない。ただ、同級生がとても仲良くて、そんな同級生と飲んでいる時に、帰りたいけど仕事とか住まいとかないし帰れないと言われた時、そういうのがモチベーションになっている。帰りたい仲良い友達がいるのに、帰れないこの島の状況をなんとかしたいと思う。

そして、自分も、地域に、島の人に育ててもらったし、自分の子どももこの島で育てたいと思うと言う。子どもと散歩から帰ったら、地域の人が「おかえり」と言ってくれる。この関係がめちゃくちゃいいと思っとる。地域のために自分ができることは何かなって考えた時に、やっぱり教育だと。経験とかを積みながら、地域にとって、島の人たちにとって、高校生にとって、少しでもプラスになることができたら最高だねと笑って語る。

~終わりに〜

初めての取釜さんへのインタビューはとても楽しかった。衝撃的な出来事もいっぱいあって、この人がこの人たる由縁を見た気がする。私の同級生の中にも、取釜さんに憧れているという子や影響を受けたという子がいる。そんな子たちにこの記事を届けたくなった。zoomでインタビューをしたが、取釜さんの返答だけで文字起こしは8500文字を超えた。もっといっぱい書きたいことはあったが、これが限界かなと思う。本当に島が大好きで、教育で変えたいというのが、話の節々で伝わって来た。「やりきるか、死ぬか」という言葉を聞いて、ただ強いと思った。そんな強くて面白い人と、高校生の時に出会えたことが幸運だと思う。面白いことをぜひ取釜さんと一緒にやってほしい。

【ライター紹介】 細川ますみです。東京出身ですが、地域みらい留学で広島県立大崎海星高校に進学し2020年3月に卒業しました。現在は青山学院大学に進学しています。高校時代はみりょくゆうびん局という高校魅力化をする部活動の初期メンバーとして活動しました。現在も、「まなびのみなと」のメンバーとして大崎上島と関わっています。

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