2022.3.31
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まなびのみなと人生記事企画vol5船口さん

#インタビュー記事#人生記事企画#公営塾#地域おこし協力隊#大崎上島

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はみんなすごくて、素敵な人生を過ごしていた。でも、私の周りにもいっぱい素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる素敵な人に彼らの人生についてインタビューし、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。5回目の今回は3月で地域おこし協力隊を卒業していく船口弘希さんの人生を取り上げる。

彼は、奈良県出身。社会人2年目までを塾講師として奈良県で過ごした。その後、大崎上島の地域おこし協力隊として公営塾「神峰学舎」で3年間働き、この4月新たな職場へ旅立つ。

本当に小さな時は、外で遊ぶことが好きな少年だった。サッカーしたり、木登りしたり。しかし、小学3年生、そこから7年間、中学3年生まで家に引きこもることを選択した。明確な理由があったわけではない。ただ、一つのきっかけは、おたふく風邪にかかり1週間学校を休んだことだった。1週間。彼は、急にすごい学校に行くのが嫌になった。勉強もついていけなくなっていたからか、周りと比べられることがすごく嫌でなんか行きたくなくなった。家に引きこもってゲームをしている7年間だった。

中学3年、進学か就職かを選ばなければいけなかった。高校なんて行けないと思い、「就職します」と担任の先生に伝えると、

「学校にも来れてないやつが中卒で就職できるか!」

と言われ、めちゃくちゃに怒られたと笑う。進学への道を決めた。

学校に行ってないから、通知表には数字がつかなかった。行ける選択肢は「私立」か「公立の定時制」。7年間、親に迷惑をかけたのに、私立に行くことでさらに迷惑はかけたくなかった。ちょうど奈良県内でできたばかりの定時制の高校があったため、そこへの進学を目指した。三部制で単位制、自分にあった時間割を組めた。

彼の転換期は、「高校入試」という。中3だけど、小学3年以下の学力。分数の足し算引き算すらできなかった。おばあちゃんと一緒に毎日勉強した。決してそんなにできる方ではなかったが、2、3ヶ月で数学がかなり伸びた。「やろうと思ったら、自分結構できるんだなとその時に思った。」と話す。「今はもう数学何もできないけど、それきっかけに高校で今も付き合っている友人と出会えた」と笑う。学校が楽しく思えるようになった。

高校に入学してから、将来の自分の選択肢を増やすために大学を出ないといけないと考えた。彼は家に引きこもっている間、インターネットでニュースサイトなどを見るようになり、それが理由か、日本史の成績が良かった。「それが勉強できたら幸せじゃん。」と思い、社会科系の科目を学べる大学を選んだ。「電車に乗るのが嫌いで、原付の免許持ってたし、原付で通える距離の大学がいいなっていう」と笑いながら、地元、奈良の大学に進学した理由を話してくれた。

大学に入って、自分の好きな歴史をずっと勉強するのは楽しかった。「この勉強がずっとできたらそこまで苦痛じゃないだろうな」と考えたと言う。その結果、教員を目指すことに決めた。

だが、「まあやっぱりうまくいかなくてね」と言葉を漏らす。当時の教員採用試験は今よりもまだ倍率が高かった。大阪、東京、奈良と幅広く受けたが、結果は不採用。私立学校の教員採用試験も受けた。「不登校経験を持っている人ってやっぱり皆採りたくないんだろうね。」と冷静に話す。直接言われた訳ではないが、不登校のことを書いた書類を提出したら、悉く通らなかった。今までの自分の人生を否定されたような気がした。それでも教育には携わりたいという思いがあり、塾業界の検討を大学の先生から勧められた。2、3年働きながら教員採用試験の勉強をして教員を目指そうと、塾講師になった。

新卒で入った会社はかなり劣悪。「右も左もわからないところに、社会の理不尽さが襲いかかってきた」と振り返る。精神が病み、毎日働く前にトイレにこもって、吐いていた。

テストの点数を取って偏差値を上げる教育は仕方がないものだと、苦しみながらも授業をしていた当時はそう思い込んでいた。

ある日、目の前で教えている子達が、高校合格をすごい目標にしていることに気がついた。「高校卒業して、大学行って、じゃあその後、この子達どうなるんだろうなって、ふと思った」と言う。「まったくその子達が大人になった姿が思い上がってこなくて、これ自分は何しているんだろうなっていう疑問がすごく湧いてきた」と続けた。中学生としていい進路を目指すことはすごくわかる。ただ、「その彼ら彼女らの未来が見えなくなった。」と語る。もうそこでやめようと思った。次はちゃんと「自分が教える子たちがその先どうなっていくのか」がちょっとでも見える職場で働こうと決め、大崎上島町の地域おこし協力隊になった。

「新卒、本当に大事です」と笑いながら話すが、不登校の道を通ったこと自体を今では良かったと彼は考えている。高校で出会った友達、好きな勉強しかしなかった大学時代。それが楽しくて仕方なかった。「時間が経って振り返ってみれば、出会いがあった」と語る。この道を選んで、不登校だった時期も含めて、自分が積み重ねてきたから、その出会いができた。それを実感するようになった。当時はマイナスだったかもしれないけれど、今振り返ると、結局プラスに働いている。そう考えられるようになった。

不登校になる、定時制の高校に行く。その道を辿ったこと。それがなければ、他の子たちと同じように、内申点を気にして、いい大学を目指して、型にはまったレールの上を辿っていたと彼は思う。そこで外れたからこそ、「がたがた道だけど、走り続けられている」と語る。

「できないことを探すよりはできる努力をしなさい。」大学の先生のこの言葉も彼を支えている。教員採用試験に受からず、焦っていた時にもらったこの言葉。できなかった時はできなかった時に考える。やるかやらないかを決めて、走り出す。そんな彼の行動指針が彼を大崎上島に導いた。

1年周期の教育業界。今年も大崎海星高校で卒業生を送り出した。そんな卒業する子達の顔を見ると、この1年やり遂げたと彼は思う。生徒達の人生の中で少しでもプラスになることができたかなと思えるのがやりがい。「積み重ねを最後に見れるのがいいところ」と話す。

大崎上島で3年間過ごし、「来週にはいなくなるはずなんだけど、まだ来月も本当にいそうな気がするぐらい」と言葉にするほど、島に馴染んだ。景色を1人で見たり、ぼーっとしたり。逆に忙しくしようと思えば、遊びに行ったり、仕事をしたり。その余白に幅がある。その余白を自分で決められたことが良かったことであり、馴染めた理由。

また、価値観の多様性を認めてくれて、職場でも、「それがいいんだよ」と認めてくれる、自分をチームに受け入れてくれることが安心できた。

大崎海星高校の魅力化スタッフや大崎上島町役場は「ノンストップ」だと彼は語る。荒々しく、どんどんと物事を前に進めようとする、立ち止まらないところがいいところ。「とにかくやるんだ」という意志が感じられると言う。自分もそこに乗っかって、新しくまなびのみなとのホームページのリニューアルにも携わった。

「教育、あまり向いてないかもしれない。」大崎上島で3年間過ごして、意外にも気づいたことだった。人のために働くことは素晴らしいこと。だけど、「何かをしてあげることに自分は喜びを感じるんじゃなくて、まずは自分がやりたいことをやれるっていうのにすごい喜びを感じる人間なんだなということに気がつけた。」と語る。そして、それを堂々と言えるようになった。それを言っても、許されるようになった。それが踏ん切りになったし、大きな学びになった。

大学の先生の言葉。大崎上島での学び。これが、協力隊を卒業する今、自分のやりたいことに向かって走り出そうとする彼を後押しする。自信にも繋がっている。

「なんとかしようと思えば、わりとなんとかなる、これはもう自分の経験則」と教えてくれた。どん底にいても、将来が真っ白に見えても、迷ったり、落ち込んだりしても、重いことで悩むのはすごく価値があるけれど、思い切って飛び込んでほしい。そう高校生には伝えたい。

大崎上島での地域おこし協力隊卒業を控えた2月末、彼が中心になって進めたまなびのみなとのホームページのリニューアルがついに完成した。ブログや事業紹介ページもこだわった。

「でも僕じゃないんだよ」そう彼は言う。ただ、まなびのみなとのメンバーはきっと皆、このホームページのリニューアルは彼が引っ張っていったと思っている。そんな彼は、まなびのみなとのホームページで、「愉快な仲間たちをご覧いただければと思います」と笑う。

そんな愉快な仲間たちを残して、この春、新しい職場へ旅立つ。頑張るけど、頑張りすぎず、自分の色を出しながら楽しむことを目標にする。そんな彼は、「多分、いつか戻ってくると思います。I”ll be back.」と笑いながらインタビューを終えた。

~終わりに~

久しぶりにインタビューをして、久しぶりに文章を書いた。少しだけ遠のいていたこの企画、今回のホームページのリニューアルがきっかけでまた再スタートした。そんな再開のきっかけのリニューアルを担当し、地域おこし協力隊が満期終了となる船口さんに、今、インタビューができたことを嬉しく思う。正直、高校在学中は受験生だった1年しか被ってなかったこともあり、そんなにたくさん話した記憶はない。だが、こうして卒業した後に、繋がって、インタビューできることが幸運だと思う。

「不登校」は、今の時代、決して珍しいことではないだろう。けれど、様々な人が色々なイメージを「不登校」に持っている。どうか、学校やレールに囚われず、誰もが自分の人生を肯定できる社会になりますように。

【ライター紹介】

細川ますみ。東京都出身。地域みらい留学で、広島県立大崎海星高校に進学し、2020年3月卒業。現在、青山学院大学に在学中。高校時代、「みりょくゆうびん局」という高校魅力化を推進する部活動の初期メンバーとして活動した。

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