2021.7.21
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まなびのみなと インタビュー企画 #4 横倉実可子

〜小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はみんなすごくて、素敵な人生を過ごしていた。でも、私の周りにもいっぱい面白くて素敵な人生を過ごしている人がいると思う。〜

これは私の周りにいる面白くて素敵な人に彼ら自身の人生についてインタビューし、語ってもらい、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。4回目にして初の女性、横倉実可子さんの人生を取り上げる。

彼女は、福島県会津出身。大学も宮城の大学を選び、大学卒業までを東北で過ごした。新卒で大崎上島に移住し、広島県立大崎海星高校の教育寮「コンパス」でハウスマスターとして働いている。

彼女は「好きだったことは外遊びで、はっちゃけている」と自分の子供時代を述べた。バドミントンを小学校3年から始めて、ピアノも長い間やっていた。スイミングもやっていた。だが、色々な習い事に手を出してみたがバドミントンとピアノ以外は、長続きはしなかった。姉がやっていた流れで習い事をやり始めることが多かった。「人の真似をしていた」と笑いながら話す。学級委員をやっていたこともある。先生に褒められたくて、いい子になろうとしていた。

「自分の今の価値観がつくられた原体験が2つある」と彼女は教えてくれた。

1つは兄の存在だった。兄と姉、そして自分の三人兄弟だった。高校生だった時、兄が不登校になった。「今も引きこもり気味」だという。それが自分にとっては恥ずかしかった。親友にも言うことはできなかった。兄弟の話になっても、自分からは兄のことを決して言わなかった。だが、姉は友達に言えていた。「自分は家族を大事にしていないのではないか」という疑問を感じた。

ちょうど社会問題として不登校や引きこもりが出ていた時代だった。社会の授業、税金についての話の時。その先生は、「しっかり働いて、税金を納めて、ニートとかになるなよ」と言った。そのことが衝撃だった。「兄は良くない」のだ。「そういう兄がいるから、なおさら自分は誰にも嫌われないようにいい子でいよう」と当時は思った。自分が嫌われないように。やっぱり、兄のことはなかなか言えなかった。「自分って最悪だな」と思った。それでも、言えなくて、生きづらかった。

2つ目は自分の周囲であった2人の自死だ。高校3年になる前の春休みのことだった。小中と友達だった子が自死してしまった。その友達が亡くなる3ヶ月前に一度会っていた。その時に見た友達の笑顔が忘れられない。その笑顔とお葬式の様子を今でも覚えている。

もう1人は自分の高校の下級生だった。一度も喋ったことはなかったけど、疑問を感じた。「なんで普通に生きたいだけなのに、生きづらいのだろう」。

「人が死ぬ」ってことを考えた。「学校ってこういう対応を取るのか」とか、色々なことを考えた。自分の友人が亡くなった時は、「加害者許さない」という気持ちが強かった。だが、下級生が亡くなった時、彼女は「色んな背景がある」と気づいたと言う。加害者も被害者もないし、その子だけが悪いわけではない。色々な背景や出来事があったから起こった。ただ、この考えも「自分の中だけで閉じ込めていた」と教えてくれた。人には言えなかった。「あんまりそういうことって言っちゃいけないのかな」と話すことを避けた。そのせいで、悲しさを共有することができなかった。

この2つの原体験を話し終えた時、彼女は「今は話せているけど、だいぶ慣れた方。大学生の頃は人に言うのも勇気がいった」と教えてくれた。

そんな彼女の転換期は大学2年の時だった。ずっと教員を目指していたため、教員免許の勉強をしていた。当時は大学受験に失敗したと思い、「教育学部じゃないから、大学内外で教育に関わりたい」と考えた。教育系のインターンを探していた時、「認定NPO法人底上げ」の数年前のインターン情報を見つけた。そのH Pで、五泊六日の「大学生が自己内省する「SOKOAGE CAMP」」を見つけた。「これは参加しなきゃ」と思った。それが彼女にとって、「大きな出会い」だった。

先生を目指している中で、兄のことを言えない後悔がずっとあった。「このままじゃいけない。」もし先生になっても、これだと心を開いていないのと一緒。「変わりたい」と思っていた。

このプログラムを見つけて、「ここだったら変われるかも。兄のことを話そうって決めて参加した。」と当時の決意を話してくれた。

参加する前から意識も変わっていた。「崖っぷち」だと思い、変わるという「強い意志」があった。プログラムに参加している人はみんな知らない大学生。「嫌われてももう会わないし」とそんな気持ちで臨むことができた。N P O底上げは環境づくりが上手で、彼らは自分に対して真剣に向き合ってくれた。

「小さいことだけど」と前置きしてから変わったところを話してくれた。以前はすっぴんで、大学時代住んでいた寮の中を歩けなかった。「自分を隠すタイプ」だった。このプログラムに参加してから「肩の荷が降りた」と言う。「すっぴんでも歩けるようになった」と笑いながら教えてくれた。

そのプログラムで出会った大学生や大人との関係が続いた。違うプログラムにも参加して、考えていることをアクション、行動に移すまでの自分の環境の作り方を学んだ。

「自分の意見をちゃんと言えるようになった。そのままの自分でいたい。」と思った。

N P O底上げの人と出会って変われた。「生きづらさ」が減った。「救われた。」

その後、就職活動が始まった。中高の国語の免許も取得し、アルバイトで塾講師をしていた。教育実習や教えることはすごく楽しかった。けれど、教えることは得意じゃないし、好きじゃない。「学校の先生になるにはもうちょっと色んな経験を積んでからの方が、自分の生徒に還元できることが多い」と考えた。今すぐ先生になるという選択は取らないと決めた。

「マイナビやリクルートのページを見てもワクワクしなかった」と振り返る。「就活に対して反抗的だった」と笑う。合同説明会には一回も行かなかった。みんなしてスーツを着て、合同説明会行ってきたというようなインスタのストーリーをあげる。今では、「なんだったんだろう、あの時のあの気持ちはって思う。」と言う。自分がやりたくないことをわざわざしなくても良い。無理してしないでもいい。

N P Oの人と出会って変われた、救われた自分。そんな関わりや場づくりができたらと考え、探し始めた。対話や精神的サポート、一緒に過ごすことで楽しさを作る安心安全な場づくりを目指した。

そんな時、日本仕事百科で教育寮コンパスの前ハウスマスターである「伊達さん」を知り、ハウスマスターの募集を見た。伊達さんの言葉が違和感なく自分の中に入ってきた。「シンプルにいいな。」伊達さんの表現も好きだった。「こういうところで働きたい」、そう思った。

初めはお世話になったからこそ「場づくり」という方面に行くことを話すのに勇気がいった。就活の最後の方で自分のやりたいことに気づけた。「短期のプログラム」、「日常ではなく非日常」。そうではなくて、「毎日一緒に生徒と過ごして、場や関係を作っていくのに挑戦したい」と思った。

自分に真剣に向き合ってくれたNPOのメンバー達。私も何か返したい。「感謝と憧れ」がそこにはあった。「一緒に何かをやりたいし、1番は何かを返したい」と語った。

N PO底上げのメンバーはそのメンバーで完成されている。ずっと一緒にいたから違うところで頑張ってみたい。

「新卒で地域おこし協力隊で働くことに不安はなかったのか」と聞くと、「周りからも新卒は武器だと言われた」と笑って答えた。迷っていた時に、お世話になっている人から「怖いなら尚更飛び込んだ方がいい。怖いってことは興味があるってこと」と教わった。安定よりも失敗してもいいからやりたいことをやろう。「怖かったけど、どうにかなるっしょ」という気持ちで決めた。他にやりたいこともなかった。その時は1番、大崎上島でハウスマスターになりたいという気持ちが大きく、ワクワクしていた。

今は生徒の日々の成長を身近で感じながら仕事に励む。「高校3年間という貴重な時間を一緒に過ごせていることがありがたいし幸せ」だと教えてくれた。「日々楽しいし、やりがいも感じる」とハウスマスターの仕事を笑って語る。

難しいことももちろんある。ルールを生徒に伝えていくことは簡単ではない。また、安心安全の環境や信頼関係を強く思いながら仕事を始めたけれど、半分思っていたことができているけど、また半分は想像していなかったことが起こる。学びながら、ハウスマスターとして生きていく。

高校生と過ごすことで、自分の汚い部分や余裕のなさが見えてくることもある。「高校生って正直で周りを見ている」と言う。色々なことを考えていて、色々な視点を持っている。こちら側が驚かされることも多い。

将来のビジョンはまだ見えない。「「今は日々の仕事、目の前のことでいっぱいで将来のことを考えてない」って言葉で逃げている気もする」と笑いながら語る。ただ、これからも「自分と相手が生きてきてよかったと思える瞬間を作っていきたい」と力強く教えてくれた。そのための手段はいっぱいある。教育や子供との関わり、デザインや環境づくり。将来やるだろうし、学びたいことはたくさんある。「行動に移せてない」と苦笑いしながら将来を悩む姿を見せた。

彼女はずっと「「そのままの自分でいること」を大事にしている」と何度も話してくれた。

「変に人と仲良くなろうと思わないこと」。価値観も考えも違って、よくわからないこともある。その時に、自分が本当に思っていることが言えないこともある。でもそれが逆に自分の負担になる。「そういうことはしない」とキッパリ言う。自分が我慢すると最終的に上手くいかない。だからこそ、「そのままの自分で人と向き合いたい」と教えてくれた。

自分のことも自分で受け取る。イライラしても、モヤモヤしてもそういう自分もいる。上手くできないのも自分。上手くいくのも自分。全部、そのままの自分だ。自分のことを否定しないで受け取る。それが彼女の生きるテーマであり、大事にしていることだ。

「信じること」「挑戦すること」この二つも彼女にとって大事なこと。「できてないけど」と反省も混ぜながら自分が大事にしていることを教えてくれた。

寮生の日々の成長を知っているからこそ、人に限界はないとわかる。日直のばあば(60代後半)でも、学ぼうとする意識がある。「私より何十年も生きている人が今もなお、学ぼうとしているその姿勢」。「周りが勝手にその人を見限るのはもったいない。信じたい。」と言う。

「悩んだり、不安になったりすることは全然変なことじゃない」。だから、「そんな時は横倉に話をしたいと思ったら話に来てください」と笑いながら呼びかける。「この人に話してみてもいいかなと、そう思える人にどんどん頼ってください」とどこまでも高校生目線だ。「一緒に楽しいことをしたい、学びたい、今後ともよろしくお願いします。」と彼女はこのインタビューを終えた。




〜終わりに〜

ずっと笑顔でインタビューに答えてくれた。「きっと高校生が寮に帰ってきた時に、この笑顔で迎えられたら安心するだろうな」と思う。安心安全の環境はこの笑顔に支えられているのではないか。原体験をこうして話せるようになるまで、決して簡単ではなかったと思う。彼女の転換期だった大学2年に今年なった私は身が締まる思いだ。笑顔の中に強さや乗り越えてきた壁を感じるインタビューだった。

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