2021.3.1
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まなびのみなと インタビュー企画 ♯2 牧内和隆

〜小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はみんなすごくて、素敵な人生を過ごしていた。でも、私の周りにもいっぱい面白くて素敵な人生を過ごしている人がいると思う。〜

これは私の周りにいる面白くて素敵な人に彼ら自身の人生についてインタビューし、語ってもらい、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。2回目の今回は、1回目の取釜さんと同じく代表理事を務める、“まっきー”こと牧内和隆さんだ。

彼は鹿児島県出身で、高校時代までを鹿児島で過ごした。その後、大学に進学。卒業後、1年間長野で営業職として働き、大崎上島に移住する。3年間、地域おこし協力隊として公営塾「神峰学舎」で塾の先生を務めた後、名古屋の民間の塾で現在まで働いている。

小中学生の時からずっと、将来の夢を聞かれるのが嫌だった。聞かれる度に「知らねーよ」とただ思いながら、「ちゃんとした大人」と答えていた。当時流行していたORANGE RANGEのある曲の、「夢アルからって別に偉かないよ」という歌詞に共感した。

「何が大事だったんだろうね」と幼少期を振り返る。デスノートの夜神月や、アイシールド21というアメフト漫画の蛭魔妖一、金色のガッシュベル‼︎の高嶺清麿、と一つ一つ思い出しながら、「彼らのような頭が良いキャラクター達に憧れた」と言う。すごい頭が良い、天才への憧れみたいなのがあった。でも、友達と遊ぶのが楽しかったからそんなに勉強をゴリゴリやっていた訳ではなかった。何も考えてなかったけど、ずっとチャリで走り回っていた小中学校が一番楽しかった気がすると笑う。

気がついたら算数が好きだった。多分、算数ができて得意だったからだったと今だから思う。計算が早い!だから好き!みたいな単純な理由だった。算数で生きていく方法は何があるんだろうと思っていた時、再放送をしていたドラマ『やまとなでしこ』に数学者の主人公が出てきた。「数学者」という職業があることをその時に初めて知った。漠然と数学をしながら生きていけたらいいなと思った。普通に数学で生きていくなら先生なのかなとも少しだけ考えた。

気がついたら理科も好きだった。「ウルトラマンが実在したらどうなるのか」という様な内容が書いてある『空想科学読本』。この本も知らぬ間に好きになっていた。親が「なぜ木は燃えるのか」とか、そんな質問に答えるような理科好きの家だったわけでもない。なんで好きになったのかは謎だけど、それでも理科が好きだった。

中学3年生になり進路を選ぶ時、「ノーベル賞を取りたい」と思った。ちびまる子ちゃんの歌に「エジソンはえらい人 そんなの常識」という歌詞があったのを覚えているだろうか。エジソンはえらい人だというのは、みんなが知っている常識。そのフレーズがやばいと思った。そして、中学生なりにそのエジソンより有名になる方法を考えた。その方法が当時ニュースで流れていたノーベル賞を取ることだった。理系分野で日本一ノーベル受賞者が多い京都大学に行きたいと考えた。そのため、県内の特進コースに進学した。

しかし、高校3年になり、担任の先生から「大学に行ってお前は何をするのか」と問われた。「ノーベル賞を取りたいとは思っていても、何をするかはそんなに考えていなかった…」と色々なことを考えた。そして、環境問題に辿り着いた。ずっと環境がやばいと言われていた。「将来、本当に環境が悪化して電力の制限とかが超厳しくなった時に、『牧内って人が素晴らしい発明をしたからもう大丈夫!』ってなったら、エジソンより絶対に有名になれると思ったんだよね」と笑いながら言う。そこから環境問題の勉強ができる大学を選んだ。

長野の大学に進学後、環境問題を色々勉強した。その結果、「どんなに優れた環境技術があっても、結局それを選ぶのはひとりひとりの消費者だよね」と環境教育に目を向けることになり、教育の道を志すようになった。環境意識を育まないといけないと考えた。また、環境問題を学ぶうちに、国際理解教育にも興味を持つようになっていった。

しかし、「先生」は小中の頃からあまり好きではなかった。学校の先生の中にも頑張っている方がいるのはもちろん知っている。だけど、学校というシステム自体に限界はあるし、色々な先生が学校にはいる。時には、「それはないだろう」とか「なんでそんなやる気がなくなるようなことを言うのだろう」とかそんな風に思えてしまう先生もいた。自分はあんな先生になりたくないという反骨心みたいなものがあった。「とれるならとっておくか」くらいの気持ちで受けていた教職の授業で、大学の先生が「『先生は嫌いです』とか『教員になりたくない』と言っている人ほど、実はなって欲しいんだよね。」と述べていた。なるほど、と腑に落ちたことを覚えている。

教育実習にいってみて、「社会に出ていないのに生徒を相手に社会を語ることはできない」と思い、「一度は社会に出よう」と就活をした。就職して1年が経つ頃に大崎上島の公営塾の存在を知った。就職活動をする中で、公教育と民間教育、どちらが良いのかを考えていた。その中間である“公営塾”に魅力を感じ、島を訪れる。島の人に会った時、「自分の地元にはこんなに地元のために一生懸命やっている人は身近にいなかった」と驚いた。そこからは勢いで、大崎上島で公営塾の講師になった。

そんな彼の転換期は、島にきて2年目のことだった。「自分は教えるのが下手だ」と実感。1年目は初めてだからという言い訳が通じた。しかし、2年目になり同じ公営塾のスタッフのメンバーが入れ替わり、自分が唯一の2年目になった。「ちゃんとしなきゃ…!」と思った。1年目は、「教育とは」とか、「自分の目指す理想の生徒像」とか、そんなものを持っていなきゃいけないと思っていた。「多分、井の中の蛙だったんだろうね」と苦笑い。自分はしっかりしているという幻想と、謎の理想だけを持っていた。浅はかだった。2年目だからできるはずだと思っていたのに、思っていたより何も出来ていなかった。「自分はしっかりやるの、ちょっと無理かも…」と思い、ふらふらしだす。可能な限り、会議や、学校の授業、地域のイベントなど色々なものに触れた。1年目は自分の中に、「教育とは」などというバシッとしたのがあったけど、2年目は中途半端なリベラリストになり、何かの刺激がある度に、自分の教育観を再構築し、「それも大切だよね」と思うようになった。「それぞれの人がこれかなと思うやつがあって、楽しそうにしてればいいよね」みたいに考えるようになる。「社会人としてはどうかなとはちょっと思うけどね、社長とかが自分みたいだったら最悪だね」と笑いながら転換期を話した。

公営塾で3年講師を務めた後、現在は名古屋にある坪田塾で講師を続けている。大学の時から、塾長の坪田信貴先生のことは尊敬していた。ただ、坪田塾に就職しようとはなぜか考えていなかった。

きっかけは、「しるし本」という本に書き込みをして売るアプリだった。今、一緒に働いているT先生が、「坪田塾講師が読む『才能の正体』」として坪田先生の著書本を出品していた。購入希望をだしたが、先着順で貰えず。しかし、そのT先生から「購入希望ありがとうございます。嬉しかったです。しるし本は他の人に渡ってしまったけど、機会があれば教育の話ができたら嬉しいです。」とメッセージを貰う。T先生に会いに名古屋に行き、坪田先生の著書で実践してきたたことや、本のこと、教育のことについて話した。そこから坪田塾との繋がりができた。

そのT先生が今度は大崎上島を訪れてくれて、公営塾の様子も見学した。生徒に「坪田塾の講師だよ」と紹介すると、ある生徒が「えー、じゃあ、まっきーの師匠じゃん!」と言った。その言葉を聞いたT先生が、「こんなにみんなに知れ渡るくらい発信・実践しているんだね!笑」と言い、「任期が終わるのなら坪田塾受けてみたりはしないの?」と何気なく聞かれた。

ただその時は、なぜかあまりしっくりこなくて、しばらくはその理由を考えていた。そんな時、また別の生徒と進路の話をしている最中に「本当に自分の好きな企業だったら、なんか、『自分なんかがそこで働いて良いのかな…』みたいな申し訳なさみたいなのがある」とその生徒が言った。それだなと思った。その生徒と、「それは自分に自信がなくて、ただの逃げかもしれないね」と話し、とりあえず一回坪田塾を受けてみようと試験に乗り込んだ。

入社試験は「人生で1番緊張したわ」と笑う。生徒の話からきっかけをもらい、生徒の話が試験を受ける後押しになった。なんとか合格し、生徒にありがとうと思った。

こだわりもプライドもないから、生徒の意見に、年齢も立場も関係なく「すごい!なるほど!」と思える。彼は、「自分のことを大したことないって思っているから。目の前の生徒さんの方が自分よりよっぽどすごいと思う」と笑いながら話す。

そんな彼が大事にしていることは「他責しない」だ。高校3年の時の担任がよく「責任転嫁型の人間になるな」と言っていた。その当時はただ聞いていただけだったけど、今の職場でも似たようなことを言われた。何が起こっても、「自分が最善を尽くせたか」どうかを考える。自分に至らなかったことはないか、改善できたところはないかを考える。人のせいにしていたら、自分のなす術がなくなってしまう。色々考えながら対処することができたら、自分でコントロールできることが増えていくと思うから、「全てを環境や人のせいにしてしまうのはもったいない」と考えるようになった。自分の至らなさや、迂闊だったという思いも込めて自責思考でよりよくする方法を考える。

そして、まっきーのしんどくならない思考術に、「ヒトという種が自分の世代で滅ばなければ最悪OK」という考え方がある。これは、理科の先生らしい思考でもあるだろう。次の世代さえ存在すれば種として存続できる。種が存続する限り、これまで色んな人が残してきた痕跡や、自分が作った何かも絶対に残る。生物としての唯一絶対な目標は「種の存続」。ただそれだけだと思うことにしている。だからこそ、何が間違いでも、何が正解でもない。年収1000万いったからすごいわけでも、年収200万だからダメなわけでも、大卒でも、中卒でも、生物として考えるとそんなものに別に優劣はない。「人間が経済とか、資本主義っていうゲームを作って、それで遊んでいるような感じだと思っている」と言う。年収ってランクで勝負しているのは、極端に言えば幼稚園生が「ここまで届いたら10点ね!」と自分たちでつくったルールで必死になって遊んでいるのと一緒で、どこか滑稽だと思う。そこに、正しさも悪もない。頑張っている人もすごいし、頑張ってない人も別にそれはそれでいい。「みんなそれぞれ各々の人生を楽しんだらいいんじゃないかなーって思う」と淡々と笑いながら述べた。

現代に残っているということは、今まで人間が生きてきた何千年の歴史の中で淘汰されずに、その選抜に生き残っている遺伝子ということ。そう考えたら、今生きている人間の遺伝子には全て何かの意味があるのだと思う。だから、どうしようもなくても大丈夫だと。

この考え方は、祖母から受け継いだものがある。彼の祖母は、仏教徒の専業主婦で、社会経験も学歴もないけれど、彼は大好きだった。社会からみたら何も生み出せないし、もしかすると「社会のお荷物」とさえ言われうる存在なのかもしれない。けれど、すごいと思う。「自分がすごく色々なものに囚われている」と気付かせてくれる。なかなか会えない遠方の孫がzoomでのビデオ通話をもちかけても、喜ぶよりも「そこまでしてみんな色んなことを話したいんだねえ、色々なことを考えつくね」と彼の祖母は言う。補聴器を勧めても、「聞こえないなら聞こえないで仕方ない、そういう歳だし」と彼女は考える。欲しがらずに、「みんな色々すごいことを考えつくねえ。世の中にはおもしろいものがたくさんあるねえ」とただ受け入れる。そんな世捨て人のような祖母が彼は好きで、その考えは彼の中にも生きている。

今は目の前の生徒さんの良いところや才能が少しでも、一つでも多く人に伝わって欲しいと彼は願う。その生徒さんの魅力や才能が最大限引き出せるように考える。それを考えるのは楽しい。例えば、一見斜に構えているけど、話はすごく面白い生徒がいると、その子の面白さや良さが、ちゃんと伝わらないともったいないと感じる。その子の魅力が周囲に伝わるように、自分にできることはないかと目の前の生徒と向き合う。

そうやって向き合ってきた生徒が、「聡い仲間」になっていく。それがエモいとも、好きだとも思うし、教育って楽しいと感じる。先日、公営塾時代の教え子達が後輩のプレゼンテーションにフィードバックをしている場面に立ち会った。去年までは、その教え子達に自分がフィードバックをしていたのに、今では一緒にフィードバックをする立場になった。その出来事がめちゃくちゃエモい。

ただ、「こうなって欲しい」という像が明確にあるという訳でもない。大崎上島に帰った時に、授業をあまり真面目には聞いていなかった教え子が、「仕事行ってくるわ」とでかけていくだけで自分の中ではエモい。島で就職したある2人の生徒が、港への送迎から魚釣りの用意までしてくれて、「温泉に行きたい」と言ったら送り届けてロビーで待っていてくれている。一緒に3人でラーメンを食べる。そういうのもやっぱりいいし、自分の教え子と話せて、仲間になっていく。そうなっていくのはとても楽しいと終始笑って話した。

〜終わりに〜

ああ、人生に疲れた人も、丁寧な生活に囚われている人も、何か生きづらい人も、この記事を読んで欲しい。多分、前よりずっと息を吸いやすくなる気がする。うまくインタビューができずに2回もまっきーにはインタビューをしたけれど、本当にずっと笑顔で答えてくれた。「強く聡い仲間を育てる」という漫画『呪術廻戦』)の台詞があるが、漫画やアニメなど、色々なものに触れながら、今のまっきーがいるのだと感じる。人のことを素直にすごいと思えるまっきーだから話せることも、見つけられる生徒の良いところもあるのだと思う。まっきーが公営塾の先生として過ごした3年間が私が塾に通っていた期間と重なっていて良かったと感じるインタビューだった。

【ライター紹介】 細川ますみです。東京出身ですが、地域みらい留学で広島県立大崎海星高校に進学し2020年3月に卒業しました。現在は青山学院大学に進学しています。高校時代はみりょくゆうびん局という高校魅力化をする部活動の初期メンバーとして活動しました。現在も、「まなびのみなと」のメンバーとして大崎上島と関わっています。

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