2022.6.26
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まなびのみなと人生記事企画vol8円光さん

#Uターン#インタビュー記事#コーディネーター#メンバー紹介#人生記事企画#大崎上島#教育#漁業#離島

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はすごくて、素敵な人生を過ごしていた。同じくらい私の周りにもいっぱい素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる素敵な人に彼らの人生についてインタビューし、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。8回目は大崎海星高校の縁の下の力持ちである円光歩さんにインタビューした。

彼は広島県大崎上島町出身。町内の広島県立大崎海星高校を卒業し、鳥取大学に進学した。大学院を卒業した後、島にUターンして地元の社会福祉協議会で2年働く。その後、大崎海星高校のコーディネーターとして現在まで働いている。

小学校、中学校、高校、それぞれ「すごい学校が楽しかった」と彼は言う。同時に、いい先生にも出会うことができた。小学校の時に出会った先生の影響で、子供に関わる仕事がしたいと思うようになった。

小学校の時から、やりたいと言ったらやらせてくれる環境があった。子供が3人ぐらい乗れる船を授業内にみんなで作ってプールに浮かべたり、体育館でお泊まり会をしたり、先生の家でお泊まり会をしたり。「やりたいって言ったら、駄目って言われるより、どうやったらできるかねって先生が一緒に言ってくれた経験が、何をやるにしても自分の原点になった」と語る。すごい楽しくて、言ったらなんかできるんだなと小さな彼は思った。

小学生の時から、サッカーや陸上をしていた。島では、人数が少なく大変なこともあった。しかし、「みんなで協力してやったりとか、何かうまいこと工夫すれば、大きい街の中学校とか街のクラブチームに全然負けない」と話す。県大会に出たり、県で入賞したり。「自分でも全然できる」と思っていた。陸上やサッカーのコーチも、島外まで試合に連れて行ってくれたり、たくさんのことをしてくれた。「自分がちゃんと取り組めば、色んなことに挑戦させてもらえたり、結果はついてくる」とその時思った。

高校進学にあたって、島外に進学するか、島内の大崎海星高校に進学するか迷った。海星以外に三つの選択肢があった。島外で1番近い県立高校と、サッカーがしたいという理由から、公立のサッカー部がある総合学科の高校と、私立のサッカーが強い高校が選択肢にあった。しかし、私立高のオープンキャンパスに行ったときに、強豪校のサッカー部で試合に出れずに3年間補欠になるよりも、そうではない場所で試合に勝つために一生懸命頑張りたいと思った。もう一つの選択肢である島外の県立高校は、毎朝6時前には起きて、自転車と船と電車の乗り継いで通学しなければいけない。通学と部活、勉強を両立する難しさから選択肢から外した。大崎海星高校でサッカーも勉強も頑張ることに決めた。

高校生活は、基本部活だった。「毎日部活」と彼は笑いながら話す。しかし、試験週間になったら勉強をして、いい成績を取るためにメリハリをもって取り組んだ。

全校生徒は90人程だったため、他の部活の友達にサッカー部の試合に出てもらったり、逆に野球部や陸上部の手伝いに行ったりした。「自分がやりたいことを実現するためには、他の人の力も借りてやっていく、楽しむためにもね」と話す。文化祭なども含めて、どうやったらできるか、協力しながら実現する。「人数が少ないからつまらんっていうのはただの言い訳」と島で育った彼は言う。人に協力してもらって、その人が気持ちよく一緒にやれないと続かない。高校生の時にそんな体験ができたことが非常によかった。

周囲に大学進学希望じゃない同級生もいる中、大学に行くことは悩まなかった。一度、島の外に出ようとも思っていたし、四年ぐらいは行きたいと思った。「選択肢として可能性はいっぱいあった方がいいから」と語る。

「教員免許が取れる国公立で推薦で自分の一番勝率が高い所はどこ」というのが大学選びの基準だった。その候補の一つが鳥取大学だった。「地域の教員」を育てることが謳われている大学だった。教育学部は学校教育がメインに思われるが、鳥取大は「地域学部地域教育学科」で、地域がベースになって、その中に教育があるというスタンスだった。生まれてから人は死ぬまで学び続ける、その中の学校期間。教育学部よりも、「その方がいいなー」と思った。「地域の中で学ぶこともあるし、育つことも多いし、自分はそういう経験をしてきたなと思ってるから」と語る。そして、「多分、地元に戻って地域で教員をやりますって言って、しかも離島で、やりたい方が入学試験での評価は高いだろう」と当時の考えを笑って話した。

大学生活で楽しかったのは、0から1で物事を起こしていくことの体験と地域活動。サークル活動では、自分達で企画して子供たちのイベントを実施した。誰かがやるのを手伝うのではなく、自分達で2泊3日の自然体験を企画して実施したり、色んな大学の人と協力したり、「そういうのも経験したのはよかったなと思っている」と話す。環境問題に取り組むサークルにも入った。環境問題に興味はなかったけど、先輩が面白そうだった。「意識を向上させるにはどうしたらいいのか」みんなでアプローチしていく。ゼロイチで、サークルを動かしていく、自分達で作っていくのが面白かった。鳥取や周りの地域のNPOやまちづくり関係のものを見にいくのも楽しかった。

そして4年間の大学生活が終わりに近づくにつれて、大学卒業後の進路を考えることになった。自分はどうするのか、何のために働くのか。周りの友人は地元の教員採用試験を受け、先生になっていく。しかし、自分の答えはまだ出なかった。大学で研究する楽しさも感じ始めていた。大学院に進学して、もう少しやりながら考えようと思った。

大学院に進学した後も、将来を考えた。「誰のために働くのかって考えた時に、島の子供のために一番働きたいと思った」と話す。そのために教員になろうと思っていたが、大崎上島町に教員の採用がないと知り、教員になってもしょうがないと思った。島を離れて遠くで仕事をするイメージがなかった。人に働く場所を選ばれるのが嫌で教員ではない道を選ぶことに決める。就職活動もしてみたけど、「結局、島で働きたいんだなってわかった」と話す。ちょうど島の社会福祉協議会が募集をしていて、教育系ではないが高齢者が半数を占める島で人口の約半分の人に関われる仕事で、そんな人達が豊かに暮らし続けるためにできることがあればと思い、就職を決めた。

働き始めて2年経った時、広島県から、「県立高校において2年連続で全校生徒が80人を下回ったら、統廃合を検討する方針」が出された。「大崎海星高校が廃校になるかもしれない」と危機感を覚えた。「母校でもあるし、高校が地元からなくなるのは嫌だなと思って」と振り返る。同じ島出身の 取釜さん(注:現まなびのみなと代表理事)と話をしながら、色々考えた。

安定している公務員を志望していたため、仕事を辞めて転職するか、そのまま仕事は続けてボランティアで関わるか悩んだ。しかし、60年、70年、歳をとった時に、もし高校が潰れてしまった時に、学校の先生や役場など、誰かのせいにはしたくなかった。このままだと、高校が潰れてしまった時に後悔するだろうと感じた。ボランティアとして手伝うだけではなく、もっと積極的に関わりたい。だから、仕事を辞め、転職を選んだ。

当初は取釜さんの会社で、その後は町の役場職員として、大崎海星高校のコーディネーターとして今日まで働いている。仕事内容の一つは、総合的な探究の時間である「大崎上島学」の実施支援。他にも、全国からの生徒募集活動や、地域おこし協力隊の採用活動、塾のサポートや寮のサポート。色々と必要なことがあれば幅広く行う。生徒が地域に入ってやりたいことを「ここに行ったらいい」とか「そこでできるんじゃない」とサポートしたり、学校の地域プロジェクトを一緒にやったり、そうして地域と学校を繋いでいく。

「人が楽しそうにしている時間や、やってよかったって思う機会を、先生と、地域の人と一緒に作ることができる立場にいるのが、やりがいだし、いいことだなと思う」と彼は話す。小学校の時に、自分がやりたいと言って、色んな大人や地域の人や先生に助けてもらったことが、良かったし楽しかった。それが今でも覚えている島の思い出になっている。コーディネーターという立場だけど、先生や地域の人と一緒にそれができることを、彼は「ありがたい」と言う。

島のコミュニティスペース(海辺の家)で行われたイベントでの1枚。日々、地域と関わる彼だからこそ、地域と学校を繋いでいくことができる。

高校魅力化を立ち上げた時は、公営塾や寮など分かりやすい”やること”があった。これからは、それらを新しく作り上げるのではなく、「一個一個丁寧に、生徒指導や授業などの地味だけど当たり前のことをして、学校そのものの当たり前の質や価値を上げていく」とこれからの数年を見据える。教科横断や地域連携も、すごい新しい仕組みを作ってやろうというより、今ある枠組みの応用や活かし方をみんなで考えたい。

近隣の中学からの生徒募集も「頑張らんといけん」と話す。島に行くと楽しいし、学びも多いし、3年間いいなと思ってもらえる人を増やしたい。「新しく色んな所に伝えていかなきゃいけないな」と使命を話した。

彼は自分のことを「リーダーではない」と断言する。「めちゃくちゃフォロワーシップが高いタイプ」だという。サポートするのに長けていて、”これやろう”に対して手伝ったり、一緒にやりますって言ったり、そういう方が彼は得意だ。安全志向も相まって、別の視点から気になる部分や上手くいかなそうな部分を見つけて、フォローしていく。「向かっていく先が一緒だったら、自分がリーダーをする必要はない」と語る。同じ方向を向いている仲間と一緒に進んでいく。その道の途中で、生徒数が100人を超えて一緒に喜んで、意味はあるし、大事なことに取り組めていることを確認して、また一歩ずつ進む。

そんな彼は、今、漁業にも興味がある。単純に海が好きで、楽しい。これまでやってきたコミュニティづくりだけではなく、地域の中でプレーヤーとしてやってみるべきだと考えている。これまでの仕事はもちろん継続しながら、漁業にも関わる道を模索する。高校魅力化と同じように、島の魅力の一つを残していきたい。

既に島の漁師の方々と一緒にイベントを作っていった。これからもう少しやるためにどうしたらいいかを、最近の彼は考えている。自分が組合に入って同じメンバーになったら、事情が詳しくわかって、色々な提案の重みが変わってくるかもしれない。
海星高校の卒業生の中に、卒業してすぐに漁師になって3年目の男の子がいる。「すごいと思う」と素直に述べる。「そういう人ばっかりじゃないから、やっぱり色んな形で漁業に関われることを提示してみることは価値があるかなと思ってて」と話す。身近に漁師を見て、面白そうとなかなかすぐにはならない。「スモールステップがいっぱいあってもいいかもしれない」と展望を語る。コーディネーター兼漁師の道が見え始めている。

漁師カレンダーを一緒に作ったメンバーとの1枚。漁師カレンダーは現在も販売中。漁師祭の開催など、大崎上島の漁業を盛り上げる。

「この島で生まれ育ってよかったなと思ってほしい」と自分が大切にしたいことを話す。
特に高校生までの間にそう思える環境にしたい。「その環境を作るためにできることは何でもしたいと思う」と話す。島の子でも、寮に入っている子も、3年間でそう思ってほしい。子供だけでなく、島で働くIターンの人も、Uターンの人も同様だ。そのための心理的ハードルを下げることを彼は大切にしたい。

高校生やこの記事を読んでいる方に、彼は「できることややりたいことがあれば、話に来てみてほしい。手伝いますし、一緒にやります!と伝えたい」と話す。やれたらいいなってことをみんな持っていると彼は思う。「少しでもそれが実現できるように、一緒に何かできたらいいし、いつでも声をかけて来てください」と笑ってインタビューを終えた。

〜終わりに〜
大崎海星高校の魅力化における縁の下の力持ちは円光さんだと思う。在学していた3年間で、どれだけ知らない間に助けられていたのか、この記事を書きながら思い返した。
また、Facebookを見てみると、本当に島が好きなことが投稿から伝わってくる。こんなに愛されている大崎上島はつくづくいい島で幸せな島だと思う。円光さんの漁業の話に出てきた卒業生は、私の同級生だ。島で漁師として働く彼の話を友人や知り合いからよく聞く。そうだ、今年の夏は、島の魚を食べに行こう。

【ライター紹介】
細川ますみ。東京都出身。地域みらい留学で、広島県立大崎海星高校に進学し、2020年3月卒業。現在、青山学院大学に在学中。高校時代、「みりょくゆうびん局」という高校魅力化を推進する部活動の初期メンバーとして活動した。

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