2022.5.25
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まなびのみなと人生記事企画vol7高橋さん

#インタビュー記事#メンバー紹介#人生記事企画#公営塾#地域おこし協力隊#夢ラボ#大崎上島#島の仕事図鑑#教育#離島

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はすごくて、素敵な人生を過ごしていた。同じくらい私の周りにもいっぱい素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる素敵な人に彼らの人生についてインタビューし、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。7回目の今回は、常に笑顔と元気いっぱいの高橋貴一くんにインタビューした。

彼は、愛媛県松山市生まれ、香川県育ち。高校までを香川で過ごし、1年間の浪人を経て、愛媛大学教育学部に進学。卒業してから、小学校の先生として3年間勤務した。その後、大崎上島の地域おこし協力隊として、広島県立大崎海星高校の公営塾で、“夢☆ラボ“事業と、総合的な探究の時間の授業サポート、島の仕事図鑑を担当している。さらに8月からは海外の大学院のオンラインコースへ進学する。

「元気だった!声の大きさだけは学校1だったと思います!」と彼は言葉の通り元気に幼少期を振り返る。小学1年生の時に、全校朝礼で挨拶を誉められたことが嬉しかったと覚えている。それから、彼はどこでも挨拶するのが当たり前になった。

小学6年生の時のクラス、彼は「生きてきて一番笑った」と話す。担任の先生が好きだった。歴史や算数、スポーツとか世の中のこと、とにかく色んなことを教えてくれた。すごく楽しいクラスだった。そんなクラスを作れるような人になりたい、子どもたちに世の中について、伝えることができる小学校の先生になりたいと、その時に思った。先生は面白くて、色んなことを教えてくれる人なんだという認識が、当時できてから、中高も“先生“がずっと将来の選択肢にあった。

そんな当時の彼がハマっていたものが“伝記“だった。図書室にある伝記をほぼ全部読んだ。「好きでね」と笑う。人のストーリーが面白いと思った。それから、新しい人と話す時もその人のストーリーに興味が出て、新しい人と出会うのが好きになった。そして、そんなストーリーは自分自身に生きるヒントを与えてくれた。

高校は香川県西讃地区で2番目の進学校に進学した。1番の高校にも進学可能だったが、1位のところでビリになるよりも、2位のところでトップを取りたいと思った。「結局、最下位だったけど」と笑う。高校に入ってからは、遊び呆ける毎日だった。受験勉強が契機になり、もともと歴史が好きだったこともあって、本気で勉強したら半年間で学年一位になれた。周囲も褒めてくれて、自分もどんどん知りたいと思った。友達からは、どうやって勉強したのかを聞かれて、話すことが楽しかった。人の役にも立てて、勉強していて楽しいと思えるようになったことが結果につながった秘訣だったそう。

大学は近場で愛媛大か香川大。「卓球がめっちゃ好きで、あこがれの卓球選手が愛媛にいたから」と大学を選んだ理由を彼は笑って話した。
イタリアンのシェフになりたかった時もあった。だけど、最後は先生になって教壇に立つことが自分にとって一番幸せだし、周りの子供達にも楽しい経験ができる時間を作りたいと思い、先生を目指して教育学部に進学した。

大学時代を、「挑戦したいことに全部チャレンジした。面白いと思ったことは全部やった。」と振り返る。
卓球団体に入って、人形劇のサークルにも入って、唐揚げ店を経営して、農業団体も作って、大学の単位の取得に、中国への交換留学の準備。そんな忙しい日々を続けられたきっかけは、大学3年生の時に起こった熊本地震だった。先生になりたくて色々なことに挑戦していた中で、熊本で地震が起こり、ボランティアに行った。そのボランティアに来ていた他の人達と話して、世の中のことを教えられる先生になりたいけれど、自分がまだまだ知らないことが多いと気づいた。ちょうど失恋し将来について悩んでいた時期ということもあり、「大学生活でやり残したことを全部しようと思った」と話す。やりたかったのは二つ。“自分の働きたいと思う人と働くこと“、“自分がお世話になっていた中国に恩返しをすること“だ。

唐揚げ店の経営や農業団体の立ち上げも一つ目のやりたいことを叶えるために成し遂げた。「一緒に働きたいと思った人達に役に立てるなら」と行動した結果、気が付けば3か月間で8団体を立ち上げ、5つの代表になっていた。睡眠時間が2時間を切る日々が連日続いても、疲れより楽しさが勝っていたし、「人の役に立てて嬉しかった」と微笑む。

そして、二つ目の中国への恩返しは中国への交換留学がきっかけだ。
大学二年生で大学のプログラムを利用して、中国へ5日間短期留学に挑戦した。「全てが楽しかったね。きついことも楽しかった。」と豪快に話す。短い時間だったが中国語が喋れない状況でたくさんの人に助けてもらい、そして行動することの大切さを教えてもらったことがその後の行動の原点になった。だから、将来について考えるようになった大学3年生で半年間、中国に長期留学することを決めた。「純粋に目の前の人のために何ができるかしか考えてなかったし、それが最高に幸せでした」と当時の心境を語る。留学中には「中国の大学生感謝祭」という中国人留学生に感謝を伝えるイベントを企画した。日本語を学ぶ中国人と日本人留学生が交流するサークルが存在したが、「中国の友達が「本当につまらない」って言ってたの」と笑う。“侍“や“富士“といった教科書で知るようなことしか知れないからと話していたそうだ。ありのままの日本人、好きなことをやっている日本人と彼らは話したがっていた。そこで、日本人が好きなことを思いっきり行うことで、ありのままの日本人と中国人が交流できる場を作った。運営代表として、当時留学した大学の日本人留学生全員と中国人の友人に協力してもらい、協賛企業も現地で4社集めて実施した。当日、来てくれた中国人は約160人。イベントが終わった後には、中国語版のナルトの寄付も行った。そのイベントを通して、中国人に恩返しができた。

寄付した中国語版のナルトと思い出の写真

色んなことにチャレンジした大学生活だった。しかし、就職活動に苦労し、なかなかうまくいかなかった。そんな中で、「結局、“先生になる“っていうことが自分の人生を形にすることだと思った」と話す。自分自身が1番、本当になりたいものは学校の先生だということに、就職活動に失敗してから気づいた。

どうせ先生になるなら、世界のことや中国留学した自分の価値観、外に出たから気づけた日本の魅力など、海外のことを伝えられる先生になろうと決意。“Teach for Japan”の2年間限定で教師になるプログラムを利用して先生になった。大学在学中に海外や愛媛県で出会った人生の先輩方や仲間達のような素敵な出会いを届けられる先生になりたいと思った。自分の本当にやりたいことをする、海外に目を向ける、出会いを届ける、この3つの理由から一旦、先生として全力でチャレンジしようと決めた。

海外の大学院に進学する要件が3年間だったこともあり、最終的に3年間、小学校の先生として働いた。そこが人生の転機になったと語る。子どもたちと接する中で自分の故郷である愛媛県が好きで、愛媛県の子どもたちに貢献したい思いが溢れてきたと当時の気づきを話す。自分の原点となった地域に、自分のできることややりたいことで貢献したい。そこで大学院に行き、勉強して、貢献できる人になりたいと思った。英語は苦手科目の一つだったが、志望校を絞って必死に勉強し、海外の大学院進学に向けて走り出した。2年間の努力の末、TOEIC200点も取れなかった英語力から第一志望の海外大学院のオンラインコースへ合格も果たした。日本人として初という嬉しいご褒美もついてきたと嬉しそうに話す。

ならば、なぜ今、彼は大崎上島で働いているのか。そこにも彼なりの理由があった。
小学校の先生をしていて学校の中で学外の人と出会うことが少なかった。学生時代に学校の外で色々なことで活動をして、話を聞くことや、かけがえのない出会いのおかげで、教えてもらったことが多かった。だからこそ、そんな出会いが溢れる学校を作りたいと思う。その自分の作りたいイメージに重なっていたのが、大崎上島町にある“大崎海星高校“だった。大崎海星高校は地域の人が学校に協力してくれる。夢の一歩目になる学校だと思った。そこでこの環境に身を置くことを決めた。

大崎上島で夢☆ラボや総合的な探究の時間のサポートをしている

今の仕事のやりがいは、「やる気が噴き出す瞬間が見れること」と話す。高校生はもちろん大人も含めた関わっている全ての人を支えたい。「英語のカフェがやりたい」と言う先生がいれば、「それやりましょう!」とサポートし、忙しい中で挑戦する先生を手伝う。高校生も、コロナ禍の中で諦めたことを、実現させたい。サバイバルカレー作りをサポートしたり、シンガーソングライターを目指す子のきっかけを作ったり。島の仕事図鑑という島の仕事の紹介冊子の作成でも、生徒がやってみたいことを地域で実現しながらその魅力について知る場を作るために行動した。難しいことだけど、「その人の目が変わる瞬間、やってみたいが湧き上がる瞬間を見つけること」、それが大きなやりがいとなる。

0から生徒が創った旅する仕事図鑑

そして、2022年夏からは憧れだったHigh Tech Highのオンライン大学院に現職を続けながら進学する。High Tech Highも大崎海星高校と同様に出会いの多い学校。出会いが溢れる学校作りを勉強できると思った。同時に、先生もイキイキしている。子どもたちはもちろん、そこで働く先生方を支える体制作りを学べるリーダーシップ論などを学ぶ予定だ。High Tech Highは映画にもなった学校で日本の先生達も見てはいるが、その授業を実際に行うのは難しくもやもやを抱えている。日本の先生達は、っぽん、ときっかけを作ったら「自分達で進んでいくような力を持っている人ばかりと思っている」と話す。だから、自分が「あの映画の学校に行った」と最初に話すきっかけになって、「一緒にやってみませんか」と声をかける。そんなきっかけを作って、「やりたいことが湧き出す学校づくりが日本中でできたら」と願う。

そんな彼の将来の夢は「出会いと挑戦をキーワードにした学校作り」だ。「それを30代で絶対にやりたいので、そのために必要なことが何かっていうのは常に考えています」と信念を持って話す。実際に現場で働く立場から見る世界と、経営者や管理職の立場から見る世界が全然違うと感じているため、今度は管理職の立場からも学校を見つつ、先生としてコツコツ実力をつけていきたいと地域おこし協力隊卒業後の進路を考え始めている。
そのために、まずはこの3年間で「一人でも多くの”人”を幸せにする」と誓っているそうだ。目の前に向き合う日々が楽しくて仕方がないとイキイキと話していた。

彼は、自分のことを「やりたいことモンスター」と例えた。常にやりたいことに溢れている。小6の先生がくれた「迷ったらゴー」という言葉を頼りに、少しでも興味があったらチャレンジする生活を続けている。そして、そんな彼が今、大事にしていることは、「宝物はすぐそばにある」と「ワクワクは奇跡をおこす」だ。
「みんな欲しいものはすぐ近くにある」と彼は語る。自分の父や祖父の仕事や大事にしていること。みんなあまりよく知らないけれど、困っていることは身近な人に相談すると解決することが多い。そして、島の外の人はこの島の素敵な部分を当たり前ではないと知っている。島の子ども達もそれを感じて、今もすごく誇りに思っているこの島で、もっと島の子ども達もわがままにやりたいことができたらいい。そして本当は知っている島の魅力に気付いてほしいなと話す。
彼は、「熱中していることって、たまに奇跡を起こす」と真剣な顔で話す。その熱中と奇跡がやりがいである「目が変わる瞬間」を引き出すのだ。その目が変わるほどの“ワクワク“を取り戻したいし、鍛えたい。語学力0で留学しても中国でイベントができたことや、英語で留年危機を2回も経験した落ちこぼれが海外大学に進学するという奇跡はワクワクが原動力だと実体験を持つ彼は力強く語っていた。

「迷ったらゴー。興味があることがあったら、ぜひチャレンジしてほしい」と彼は呼びかける。そして、もう一つ、「どうせやりたいことをやるなら、誰かの幸せを考えながら行動してほしい」と願う。これは大崎上島で教えてもらったこと。島に来て、なんて自分は自己本位だったんだろうと、これまでの行動を反省した。「皆さんの周りの素晴らしい人達とその人たちのためにチャレンジを続けてほしい」と笑う。そして、そんなチャレンジを続ける全ての人を彼はこれからも応援し続けるだろう。

〜終わりに〜
「え、なんで?意味わからん。」私は去年、久しぶりに島で再開した同級生に疑問をぶつけた。聞けば、大阪出身の彼女は在校年が被ってない貴一くんとzoomをして、あっという間に島でのインターンが決まったらしい。私もまなびのみなとの定例会で見たことがあったが、“いつもやけに元気に挨拶する人“としか思っていなかった。少し話してよくわかった。貴一くんは卒業生だろうとなんだろうと関係なく自分に関わる“なんとかしたい“と思ってる全ての人に手を貸すっぽい。きっかけは忘れたが、なぜか私もオンライン進路相談を実施し、よくわからない圧で涙目になりながら就活を嘆き、今では一緒に飲んで恋バナできる仲になった。本当に意味がわからない。
経歴を掘れば掘るほど出てくるため、インタビューもどこまで突っ込むか少し迷った。どうか悩めるあなたへ。貴一くんの挑戦に溢れた人生を聞いてみてほしい。貴一くんの明るさに触れてみてほしい。迷ったら、大崎上島にゴー。

【ライター紹介】
細川ますみ。東京都出身。地域みらい留学で、広島県立大崎海星高校に進学し、2020年3月卒業。現在、青山学院大学に在学中。高校時代、「みりょくゆうびん局」という高校魅力化を推進する部活動の初期メンバーとして活動した。

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