2022.4.27
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まなびのみなと人生記事企画vol6神田さん

#インタビュー記事#コミュニティスペース#メンバー紹介#人生記事企画#公営塾#地域おこし協力隊#大崎上島#教育#離島

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はみんなすごくて、素敵な人生を過ごしていた。でも、私の周りにもいっぱい素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる素敵な人に彼らの人生についてインタビューし、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。6回目となる今回は、この4月、大崎上島で公営塾講師として3年目を迎える神田瞳さんをインタビューした。

彼女は島根県出雲市出身。地元の島根大学生物資源科学部地域環境科学科に進学した。大学卒業後、島根県内の高校で1年間教員として勤務。その後、大崎上島町の地域おこし協力隊として公営塾のスタッフに転職、今年度で3年目を迎える。

最近、彼女は大崎上島のコミュニティスペース併設型カフェ“ミカタカフェ“で、子供の頃を思い出した。小中学生の彼女は学校生活を楽しんでいたが、学校だけでなく、地域の公民館も彼女の活動の場であった。コミュニティセンター主催による様々な自然体験に参加した。山や海、キャンプに天体観測。今、振り返ると、幼い頃の自然の中での感性を揺さぶられるような原体験が、島根県を“帰りたい場所“にしてくれている気がし、同時に、それが“生きた教材“を大事にしたいという今の教育観に繋がった。

高校は出雲校区の中で一番の高校に進学した。元々、今の出身校よりも一つ下の学校を目指していたが、土壇場で変更。受験のために勉強を始めたら、解ける問題が増えていく感覚が嬉しくて、勉強に割く時間も比例するように増えていき、もう1つ上の学校を目指せる学力になった。彼女は、「全然、何がしたいとかが決まってなかったから、少しでも偏差値の高い高校に進学することで、将来の選択肢も広がるのかな、みたいな気持ち」と、出身校を選んだ理由を話す。

「今振り返ると、めちゃくちゃ楽しくって」と高校生活を笑いながら思い出す。進学校だったから、「大学進学のために勉強するのが当たり前で、周りを含め自分自身もそこに疑問を抱かなかった。とりあえず、勉強と部活に打ち込むみたいな。」と語る。そんな高校生活が楽しかったのは、文化祭や球技大会といった学校行事の時だけは勉強よりも楽しむことを優先する、みんなで全力投球といった学校の雰囲気があったからだった。また、出身校の卒業生は「母校愛がすごい強い」と言う。その理由を、勉強や部活動、学校行事など、「みんなで高校生活を送った」と思える学年の結束力だと考える。「受け身だった自分の高校生活を振り返りながら、今自分の目の前にいる高校生達って本当にすごいなあとつくづく思うんだよね。“将来自分は何がしたいのか”という問いと向き合い、そのために高校生活でこんなことに挑戦してみたいと相談にやってくるんだよね。心から尊敬するし、だからこそ自分にできることなら何でもしたいなっていう気持ちになる」という。

そんな高校生活を過ごした後の進路を、またもや直前に変更していた。センター試験直前までは栄養士を目指していた。“食“に興味があり、学びたいと思った。しかし、「センターの点が思っていたより悪くて」と笑う。浪人覚悟するのか、行ける大学を選ぶか、究極の二択を当時の担任の先生に突きつけられた。その状況になってはじめて「興味はあるけど、栄養士、そこまでしてなりたくないな」と気づいた。担任の先生は、厳しくて、現実を突きつけられたが、目を背けたくなるような現実からも逃げずに向き合うことや自分の責任で選択することを教えてくれた先生だった。自分で選択すること、現実と向き合うことを経験させてもらえたからこそ、今も自分の納得できるものを選択し続けられている。
同時に、1人で現実と向き合いきれなくなった時に一緒に悩んでくれたある先生にも支えられた。そして高校を卒業して大学生になった後も、大崎上島で暮らす今でも「その先生は自分が迷っているときにいつも“問い”をくれる存在」だという。先生に恵まれた高校生活だった。この2人の先生に出会ったからこそ、「自分はどんな教育観を大事にしたいのか」自分に問い続けられている。

大学進学の勉強はして当たり前、という進学校の雰囲気が今はありがたいと思うけど、そんな進学校で育ったからこそ、もっと3年生の進路選択の前に自分の進路について考える仕掛けが教育現場に必要だと思った。「選択肢を作っていく」「視野を広げる」そんなことをやりたいと思ったことも、教育の道を選んだきっかけだった。

地元が好きなこともあり、学部の授業で島根県をフィールドにして学んだり、色々な高校に行き高校生たちと直接関わらせてもらったりした時間はとても貴重な時間だった。

しかし、最初は「島根県の色んな学校、見に行こうって自分から行動することもなくて」と言う。行動のきっかけは、大学3年の時に、ミシガン州立大学に短期留学したことだった。それまでなんとなく大学生活を過ごして、ただ授業を受けて、サークルやバイトに打ち込んで。そんな生活に飽きてきた気分に変化を求めて出会ったのが、このミシガン州立大学での教育系プログラムだった。日本で過ごしていた時は出会うことがなかった色々なバックグラウンドを持った人達と出会い、色んな価値観に触れた。良いことばかりではなく、語学の壁にもぶつかった。「リスニングとかはやってきたけど、喋ることは全然してなくて、いざ現地の人の話を聞き取ろう、話そうと思っても、半分も聞き取れないし、自分の考えていることも思うように伝えられなくて」と話す。せっかく現地の教育現場に飛び込んだのに、全然学び取れない歯痒さがあり、悔しかった。同時に、机の上じゃなくて、本当に「社会で使える教科にしたい」と思った。

大学の授業や教育現場の見学を通じて、やりたいことはやっぱり教育だなと腑に落ちた。大学卒業後、教員になることを決めた。

そして、教員になった1年目。知ってはいたつもりだが、当時はただただしんどかった。自分の出身校とは違うタイプの高校。慕ってくれた子もいれば、大人や社会に対して不信感を抱いていた子もいた。時には、心無い言葉も浴びた。
「1年目、悔しくて何度も泣いたなあ」と今だから笑って話せる。なんとなく教員としての関わり方に違和感を抱いていた。

教科の授業に加え、日々の校務に追われた。せっかく生徒が職員室に話しにきてくれても、時間が思うように取れなかった。目の前にいるその生徒達と向き合いたいのに、どうしてもやらないといけない事務仕事に手が取られる。

「自分のつくる授業もすごく嫌だった。」と話す。学年4クラス。ある程度、学習指導要領に沿って、学年の中で、やるべきことが決められている。「知識は学ぶための道具であって、知識を暗記することを学びだと高校生たちに捉えてほしくない」そう思いながらも、当たり前のように、定期試験に合わせた授業が学校の中で展開されていく。自分もそうだった1人。そんな時に高校生たちの「感想はこう書いておけばいいんだよね」という会話を耳にした。正解があるものの中で学んできた子どもたちはいつしか「感想」にまで答えをつくっていた。そんな台詞を言わせてしまったことがすごく悔しかったのを今でも覚えている。

大量の校務に、ズレていく教育観。この二つが大きかった。
「3年耐えたら楽になる。1年目はみんなしんどいから。」そう、他の先生から言われた。それでも、「教員をやっていたら、教育現場が嫌になる」と当時の思いを漏らした。「今の自分にとっては、自分が大事にしたい軸をぶらさずにここで教育に関わっていくことが難しい」そんな状態で、社会人2年目を過ごしたくなかった。

そんな「1年目のなんか違うな」を抱えて訪れた、島根大学での教育魅力化フェスタ。そこで彼女は、現在、同じまなびのみなとのメンバーである円光さんに出会った。大崎上島を初めて知り、その2週間後、実際に島に訪れた。移住するつもりはなく、島でマルシェが開かれている日程だったし、ただ島に遊びに行こうと思った。でも、その雰囲気がめちゃくちゃよかった。ゆったりと流れる島時間も、余白のある生活も、島の人がつくるあたたかい空気感も。自分の中で強く惹かれた。

公営塾のスタッフに応募するか悩んだが、「もう1年、教員をやってから辞めて行こう」と応募には至らなかった。すると、円光さんに「教員を離れようという今の気持ちがあるのに、もう一年教員をする必要ってあるの?」とズバッと問われた。「その時、思ったことをやりたい」という思いが自分の身の中にもあった。だからこそ、その言葉で「ああ、一旦教員を離れよう」と決心することができた。次の4月、彼女は大崎上島で暮らしていた。

今、大崎上島での仕事のやりがいは、「子どもたちの学びを学校の中にとどめず、途切れさせず地域の中に繋げていくことができる立場でいられること」だという。同時に、「仕事ってどこまでだ?」と思えること自体が、この大崎上島での活動のやりがいでもある。

今の仕事に対して、「すごい好きなんだよね」と笑う。教員時代とは違い、生徒一人一人と向き合う時間が多い。「先生としてではなく、1人の人と人としてお互いに関わることができる」と嬉しそうに話す。「高校生、めちゃ好きだよね」と微笑む。

同時に、教員になろうと思った時、「将来社会に出た時に、必要な力を身につけるような教科授業にしていきたい」と考えていた。教員として実際に教育に関わるようになり、教科を教えることが教育の全てじゃないという思いが、日に日に自分の中で膨らんで行ったのも、教員を辞めた理由の一つでもあった。教員はやりがいもあり、先生達の多くが「生徒のために」と思っているのに、業務に追われるとそんなことを考える余裕が無くなっていく。

「生徒のために。」その思いを共有できる場が今はある。同時に、生徒も大人も挑戦できる場があり、みんなが応援しあえる土壌がある。「一緒にやろう」と乗ってきてくれる人もいる。それが、どれだけすごいことかと彼女は思う。

先生達と一緒に、教科横断型授業の仕組み作りを構想したり、人気のある大崎海星高校の総合的な探究の時間である「大崎上島学」と教科授業を繋げたり。授業もどんどん進化を続ける。

大崎上島の魅力化チームの中で、「生徒に一番近い存在」でいるのが彼女の目標。年代も、気持ちも、生徒に近いところで接していきたい。加えて、一番大事にしたいのは、「生徒のために」という軸をぶらさないこと。仕事をしていく中で、色々なことがあるけれど、「何のためにやっているのか」はぶらさないという信念がある。

自分がワクワクしないことは多分続かない。だから、自分の感情を大事にしている。同時に、「納得しないと自分は進めないタイプ」と話す。直感で動いても、考える時間をとって、腑に落ちないときは、途中でも一旦立ち止まる。よく考えて、考えて、納得しながら進んでいく 。

そんな彼女は、昨年11月、大崎上島で、同僚の公営塾スタッフである勝瀬さんと、高校生と一緒に、「ミカタカフェ」をオープンさせた。ミカタカフェはコミュニティスペースとカフェスペースが併設している、新しいコミュニティの場だ。カフェメニューの開発には、高校生も参加し、オープン前にはクラウドファンディングも行ない、たくさんの人から支援をいただいた。

始めようと思ったきっかけは、高校生の声だった。大崎上島に移住した1年目の2020年は、新型コロナウイルスの流行が始まった年だった。彼女自身も、高校生自身も行動が狭められた。地域活動がしたくて入学したのに、思うようにできなかった子もいた。「もっとこうなるはずだったのに。」、「期待とは違った。」そんな声もあった。「せっかくこの学校に来たのに、そのまま終わってほしくないなと思って」と彼女は話す。

「学校の外で誰かと出会える場所や活動できる場所があったら」
学校で活動を制限されても、学校とは別の場所があれば、もっと機会が作りやすいんじゃないかと考えた。学生が勉強できる場所であったり、学校とは別のコミュニティのひとつであったり、そんな場をミカタカフェで作りたい。カフェは、「こんな場所があったらいいよね、と職場での休憩時間のふとした雑談からはじまった」と笑う。コミュニティスペースが先で、カフェはついてきた。

最初は、やっぱり大崎海星高校の生徒や関係者が多く訪れた。しかし、少しずつ、大崎上島に広がっている。島内にある全寮制中高一貫校の叡智学園の生徒がきたり、広島商船高専の生徒がきたり。先日、「たまたま居合わせたはじめましての高校生たちと大人たちで会話が生まれ、高校生たちが「こんなことやりたいんですよね〜」って話をしてくれている様子も見れて、ミカタカフェでつくりたかった一つはまさにこれ!ってなった」という。別の高校の生徒同士で相談しあったり、プロジェクトで悩む高校生がきたり、「思い描いてたものがちょっとずつだけど、形になり始めた」と笑う。

彼女個人的には、さらにコミュニティスペースとカフェスペースが併設している利点を活かした場づくりにもいつか挑戦してみたいと考えている。ミカタカフェなのか、また別の場所での挑戦になるのかはまだわからないけれど、また次の挑戦を視野に入れる。「例えば、授業でSDGsを学んだら、その学びは学校の中で終わらず、じゃあカフェで使うプラスチックのコップや洗剤を環境に配慮したものに変える提案をしてみる、そんな実践を伴った学びの場としてのカフェが実現できたらと思う。それだけじゃなくて、食材やつくり手との新しい出会いを生む場所だったり、カフェを通して地域や社会を学ぶ・考える場をつくってみたい」と展望を語る。

最近、本の中に印象的な言葉があった。それは、宇宙物理学者の「未来は過去を作っていく」。
教員を離れたことに、どこか後ろめたさがあった。だが、「大崎上島で働くっていう“未来“の選択をしたから、教員をやっていた“過去“の1年が今はすごく大事な時期だったなあと思えている」という。
「自分がこれから作る未来に、ありたい姿をちゃんと実現していくことができたら、身をもってそれに取り組んでいくことができたら、これまで歩んできた過去も価値のあるものに変わる」と彼女は言葉を続ける。そんな言葉に救われた彼女は、今日も高校生のために邁進する。

〜終わりに〜
ひーちゃん(神田さん)と初めて会ったのが、記事内にもあった島のマルシェだった。それから約3年。当時の“優しそうなお姉さん“という印象は変わらず、今回のインタビューでそこに“めちゃくちゃ高校生のこと好きじゃん“が加わった。
今の社会に、仕事が心から好きだと言える人が何人いるだろう。教員を辞めて大崎上島にきたひーちゃんが、「今の仕事がめちゃくちゃ好きだ」と笑って話したことが心に残っている。
大崎上島を訪れる機会があれば、ぜひミカタカフェにも訪れて、ひーちゃんが大好きな高校生とおしゃべりしてほしい。

【ライター紹介】
細川ますみ。東京都出身。地域みらい留学で、広島県立大崎海星高校に進学し、2020年3月卒業。現在、青山学院大学に在学中。高校時代、「みりょくゆうびん局」という高校魅力化を推進する部活動の初期メンバーとして活動した。

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