2023.5.25
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まなびのみなと人生記事企画vol11 平岡さん

#ICT教育#インタビュー記事#人生記事企画#地域おこし協力隊#大崎上島#教育#教育情報化コーディネーター

~小学生の時に、図書室で偉人の伝記を読んだ。偉人はすごくて、素敵な人生を過ごしていた。同じくらい私の周りにもいっぱい素敵な人生を過ごしている人がいると思う。~

これは私の周りにいる素敵な人に彼らの人生についてインタビューし、その人生を記事にしていく「まなびのみなと」の記事企画だ。第11回目はまなびのみなとの理事である平岡さんにインタビューをした。

彼は東京都北区出身。東京外国語大学を卒業後、システムエンジニアとして、都内の海運会社で3年間働いた。その後、大崎上島で地域おこし協力隊として、公営塾の先生を3年間務めた。現在は、大崎上島に残り、「教育情報化コーディネーター」として島のIT教育の推進に力を入れている。

彼は幼少期から、自立した性格だった。保育園に通っていた時、帰宅の時間ではないが、ふと「もう帰ろう」と思い、保育園を抜け出して徒歩5分の家に1人で帰った。人に影響されたくなくて、自分がやりたいことをやっていた。

小学生になり、平日は学校から帰ってすぐに友達の家でひたすらスマブラをやっていた。小学校3年生の時に、持久走大会で彼は1番になった。「結構ストイックなんだよね」と彼は話す。「自分との戦いに勝てるかどうかってことは小学生の時にも思っていて」と彼はストイックなメンタリティを話す。1番になったことで、友達から野球チームに誘われた。そこから、平日は友達の家でゲーム、土日は野球という生活が続く。中学に上がり、ゲームをする時間は減って、平日も土日も、彼は毎日野球をするようになった。

高校は進学校を受験した。大学に行きたい気持ちが強く、部活には入らなかった。野球をするなら甲子園に行くような高校に、勉強するなら勉強だけ。極端に考えていた。「今思い返すと、メリハリをつけたりストレス解消したりするのに運動もやっぱり大事だから、今接している高校生たちには部活とか運動はした方がいいよって言うんだけど」と彼は笑う。

高1から予備校に入り、バイトと予備校の高校生活だった。「高校時代に英語を教えてくれた人はすごく覚えていて」と彼は話す。英語が好きになって、自分でも勉強を進められるようになり、どんどん英語ができるようになっていた。「基本的に勉強は楽しくやっていたね」と穏やかに語る。好奇心があり、新しい考え方を知るのは面白くて、小中の頃から勉強が苦ではなかった。「研究者の性質みたいなのがあるのかもしれない」と彼は笑う。

高校を卒業し、外国語を専門とする大学に入学した。フランス語の勉強はしんどいこともあった。フランス語が全くわからない状態からネイティブの授業があった。「語学は間違えながら学ぶもの。」その感覚がまだ難しく、間違えたくなかった。「一回お腹を壊した、急性胃腸炎」と彼は話す。それを経て、「これがストレスだと思うようじゃこれから先やっていけないなみたいな感じで、吹っ切れてできるようになった」と彼は笑う。2年間で、フランス語の授業をみっちり仕込まれ、残りの2年間で元々興味のあった経済学を学んだ。

大学卒業後、どこに就職するかはやっぱり悩んだ。だが、「自分で何か作れるものがあったらいいな」と思い、文系でもなれるものづくりの業界を考え、ITシステムを作るシステムエンジニアに興味を持った。世界とも関わりがあり、自分の強みを活かせることから、彼は海運会社のシステムエンジニアになった。

仕事は「結構面白くて」と彼は話す。システムを使っている人から直接悩みなどを聞いて、「こういうふうにできるかもしれません」と提案したり、プログラマーとユーザーの中間に立ってシステムや業務のことを伝えたり、「コミュニケーションを円滑にする人」だった。

3年経って異動することになった部署はシステムは違うが、ユーザー対応の仕事をする部署だった。「元々何か作りたいというタイプ」でプログラミングに興味があったため、「もうちょっと違うことをやってもいいのかなっていうことをふと思った」と彼は話す。

いつか瀬戸内海に住みたいと思っていた。瀬戸内海で働くとしたらどの分野かと考えた先が「教育」だった。システムにずっと関わり、人工知能やロボットがさらに発展する時代の流れを感じた。今まで彼が受けてきた「知識をインプットして、それをアウトプットする」教育だったら、人工知能がその人の代わりにもっと上手くできるようになる。「自分が受けた教育とは違う教育にならないといけないんだろうなって」と彼は話す。そして調べる中で、瀬戸内海に「教育の島」があることを知った。「教育の島を謳っているからには多分すごい教育をやっているんだろう」と彼は思い、地域おこし協力隊に応募してみることにした。

大崎上島で、地域の人、例えば現まなびのみなとの代表理事でもある取釜さんなどが、とにかく頑張っていることも島に惹かれた理由だった。そんな人たちと仕事をしたら面白そうという予感がした。実際に島で働くと、やっぱり地域の人が頑張っていて、全国のいろんな人が島に視察などで訪ねてくる。そうして島に訪れた人と話すのも面白かった。「島として教育に力を入れてやっている、すごいことだな」と彼は日々感じている。

地域おこし協力隊として公営塾の先生になって実際に生徒と接して初めて分かったことは、生徒が必ずしも大学を目指さない、多様な進路選択がある学校なんだということだった。とりあえず高校卒業が目標という子に対して教える機会もあった。彼自身が、勉強は面白かったからこそ、そんな子達に、「新しいものを知ること、勉強は別にそんな苦痛ではないよっていうことを伝えられたらいいなっていう気持ちで接していった」と彼は話す。社会に出て、新しいことを学び続けないと、それこそ人工知能やロボットに取って代わられてしまう。だから、「『勉強する』ということをできる人にはなってほしい」と彼は願う。

3年間の地域おこし協力隊の任期を終え、島に残ることを決めた。島に残った理由を聞くと、「逆に東京の生活があまり良くなかったのかな」と返ってきた。満員電車で通勤するような生活環境。島では、いつも自然があり、すごく綺麗な瀬戸内海の多島美が広がっている。日々の生活の中で、住む環境の良さはかなり大きかった。

また、3年間生徒と関わって、「島にいる子たちに対する愛着」がわき、やっぱり教育に関わりたいという思いを強くした。「それぞれの子の中にそれぞれの宇宙があると思った」と彼は語る。人間の奥深さを感じた。一人ひとりと深く関われるのは、教育業界。今までやってきたこの島で教育に関わり続けることを決めた。

現在は、島で「教育情報化コーディネーター」として働き、この4月に3年目を迎えた。大崎上島町内の3つの小学校と1つの中学校を週に1回ずつそれぞれ周っている。小中学校でも、1人1台のタブレット端末が配布されている。先生がどうやって使えば効果的な授業ができるのか。そもそもどうやってタブレット端末を操作するのか。それぞれの学校で、「ここが困っています」、「こういうことがやりたいんです」という先生の声に対して、アドバイスを届けている。情報モラルやプログラミング教育などの新しい教育も始まっており、ICT関連全般で先生方をサポートしている。

島の全ての町立小中学校を回っているので、「スーパーに行ったら、小学生にタブレットの人だって、もう町内全部の小中学生に顔がバレている」と彼は笑って話す。島の中の全ての小中学生全員に関わっている人はなかなかいない。「それはすごい面白い立場だなっていうのは思っている。」とやりがいを語る。これがもし続いていったら、小学校でパソコンを教えていた子に、中学校でも、もしかしたら高校生になっても教えられるかもしれない。「子ども達の成長を見続けられるっていうのは面白いよね」と彼は穏やかに話す。

また、小学校を回りながら、どんどんICTなどの新しいことが始まり、それをこなしながら、全教科全部の授業をしている小学校の先生のすごさを実感した。中学校の先生は、授業をして、空いているコマで校務をして、放課後は部活をして、「付け入る隙がないというか」と言葉を洩らす。学校の先生の忙しさを感じた。高校の公営塾で働いている時には学校の先生の忙しさは意識していなかった。「支援する立場になってみると、また新しいことをやってくださいって言われても、先生方は困るよなというがすごくわかった」と話す。

そんな彼は、この先の未来は、「みんなが自己実現できるような社会がいいなって思っている」と話す。そのために、やっぱりこれからも教育に関わりたい。自己実現というのは、自分自身がこうなりたいなと思っていることを現実にすること。その思いを持っている人の支援をしたい。そして、今、あまり強い思いがない人も、きっと何かしらの思いが眠っている。そもそもどんな選択肢があるのかを知らない可能性もある。だから、いろんなことを知った上で、やりたいことを見つけて、実現するための努力をしてほしい。「そういうことの何か全般的なサポートみたいなことができたら面白いな」と将来のビジョンを語る。

また、彼はこれから、もっとプログラミングをやりたい子に向けて、新しく「プログラミング教室」を始めたい。「そういう機会を用意してあげるっていうこともそうだし、パソコンが使えるだけで、生きていける社会になっているなと思うから」と彼は話す。学校に通えなくても、社会とつながる可能性をパソコンは秘めている。不登校の子でも、パソコンが使えれば全然生きていける。「そういう子達が、ちゃんと社会に出て、生きていけるようにするっていうのもやりたい」と彼は語る。

「おじいちゃんになった時に、孫に話をせがまれるようなおじいちゃんになりたい」と彼は夢を描く。話をせがまれるには、山あり谷ありいろんなことに挑戦する必要がある。島に来るときも悩んだが、「孫に話をせがまれるかどうか」を基準にして移住を決断した。「おじいちゃんになってお年玉をせがまれるだけの関係性だと、ちょっと悲しいかなって思って。孫としてのおれはそうだった。」と彼は笑う。「ICT関係の先生をやっているけど、ちゃんと本を読んだり、自然と触れたり、人と触れ合ったりするのが人生においては大事。」と彼は考えている。「他の人が言う言葉じゃなくて、自分がこう思うなとか、自分はこういう経験したなとか、そういうことから導き出されるものがすごい大事だなって思う」と言葉を紡いだ。

彼の、島での隠れミッションは「バトミントン人口を増やすこと」と「ヤクルトスワローズファンを増やすこと」だ。広島カープファンが多い島の中でも、2番目にヤクルトスワローズを応援してくれる人は「確実に増えているはず。」と笑ってインタビューを終えた。

〜終わりに〜

地域おこし協力隊の任期は最大「3年間」だ。3年目の任期満了を迎える人がいると、来年度以降はどうするのか、なんとなく気にしてしまう。もちろん、次の年にどこへ行っても、何をしても、「この地域でお世話になった感謝の気持ち」と「これからの人生を応援する気持ち」は変わらない。だが、こうしてさっちーのように島に残る選択をし、卒業後も島に帰った時に変わらず「おかえり」と迎えてくれるのは、やっぱり嬉しい。

たくさんの情報に溢れるこの社会だからこそ、自分の経験から得たまなびこそが自分自身の人生を豊かにするのだろうと思うインタビューだった。

【ライター紹介】

細川ますみ。東京都出身。地域みらい留学で、広島県立大崎海星高校に進学し、2020年3月卒業。現在、青山学院大学に在学中。高校時代、「みりょくゆうびん局」という高校魅力化を推進する部活動の初期メンバーとして活動した。

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